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Fugitive Pieces (はかな)い光 -彷徨の断章-

カナダ映画 (2007)

ロビー・ケイ(Robbie Kay)が主人公ジェイコブ(ヤコブ)の子供時代を演じる芸術的な映画。原作は1996年の出版、日本語訳の出版は2000年。映画の仮題は、日本語訳に倣い『儚い光』としたが、これでは映画の内容が分からないので、原題「Fugitive Pieces」に忠実で、かつ、映画化された時の大幅な脚色を反映させた、「彷徨の断章」を副題として付けた。かなり難しい副題だが、これは、主人公の、どちらかといえば衝動的、受動的な人生と、過去と現在を複雑に交叉させ、つぎはぎ的に描く演出を「彷徨」と「断章」で表現したものだ。

映画は、ポーランド北中部のビスクピン遺跡(北欧青銅器時代)の近くに住むヤコブ(移住後はジェイコブ)の一家が、ナチにより惨殺される場面から始まる。一人、壁の裏に隠れ、ナチが去った後は、森の中の落ち葉の下に身を隠す少年ヤコブ。それを遺跡の発掘に来ていたギリシャ人の考古学者アトスが発見・保護し、即刻ギリシャへと連れて帰る。ギリシャも、すぐにナチに占領されるので、ヤコブは終戦までアトスの家に隠れて住み、その後、養父となったアトスと共にカナダへ移住する。成人してからは、考古学、ナチ糾弾、文学などで活躍する反面、子供時代に目の前でナチに連れ去られた優しい姉ベラの想い出からなかなか抜け出せず苦悩する〔最後は、ミケーラという女性に安住の地を見つける〕。こうして書いてくると、非常にシンプルな内容だ。原作も、ほぼ時系列に沿っている。しかし、映画は、このように単純には進まない。そこにこの映画の最大の特徴がある。あらすじは、子供時代を中心にしているため、映画の展開に従って紹介すると、意味不明の内容になってしまう。そこで、敢えて、映画とは離れ、ヤコブ~ジェイコブの時系列に沿って記述する。

しかし、映画がどのように構成されているかも紹介しておきたいので、以下に、映画の場面を、場所(国)とヤコブ~ジェイコブの年齢と併記して、に分けて示す。そのためには、ヤコブ~ジェイコブの年齢を暫定的に決めておく必要がある。原作にも映画にも各時点での年齢がすべて明示されているわけではなく、しかも、原作と映画では年齢の設定が違っている。そこで、全体を再構成するため、推測を交えてヤコブと、もう一人の少年ベンの年齢を追ってみることにする。ヤコブは、1942年、ビスクピンでナチに家族を惨殺される。それは、映画の中でアトスがポーランド当局に宛てて、「行方不明者に関する問合せです。名はベラ、姓はビア。最後に見られたのはビスクピン、ポーランド、1942年。年令は15」と何度も問い合わせの手紙を出していることから確定できる。ベラはヤコブの姉だ。ヤコブは、一家惨殺後、数日森の中で隠れた後、アトスに発見され、即刻ポーランドを脱出する。そして、そのまま車でギリシャまで走り、ギリシャのザキントス島に渡る。しかし、ナチは同年に島を占領し、1944年9月に出て行くので、ヤコブは3年間今で隠れて暮らしたことになる。そして、その3ヶ月後、アトスと一緒にカナダに向かう〔クリスマスに間に合っている〕。カナダでは、隣部屋のジョセフ夫妻と親しくなる。大人になったジェイコブが、アトスの葬儀が終わってから、ジョセフの妻と、「あなたが初めてここに来たのは11歳の時?」。「ええ」。「ベンと ほぼ同じ年頃ね」という会話を交わす。ベンは夫妻の子供だ。このことから、11-3=8で、ヤコブは映画の冒頭では8歳だったと推定できる。次に、ずっと後でジェイコブが、「ベンは とても早産で、彼の父親がパニック状態で駆け込んで来た。代父のアトスは会議、だから救急車を呼んだ。病院まで付いて行って、そこで生まれたんだ」と語っている。病院に同行したくらいだから、その時11歳だったとは思えない。最低年齢として、仮に高校1年で16歳と仮定すると、その時のベンは0歳。ということは、アトスが死んだ時、ジェイコブは、16+11=27で、27歳と推定できる。さらに、ジェイコブが『基本原理』という本を出版した時、ベンは「来年から、大学に」と言うので、ベンは17歳。従って、ジェイコブは、27+(17-11)=33で、33歳。ジェイコブは、最初、アレックスという女性と結婚する。出会った時に、アトスはもう死に、ベンは高校生だったので、31歳くらいで結婚。本の出版時にはもう離婚しているので、結婚期間は31~32歳。1・2年で破局を迎えたことになる。最後に、ベンが結婚してから、ジェイコブに交際相手としてミケーラを紹介する。大学を出てすぐに結婚したとすればベンは22歳。ジェイコブは、33+(22-17)=38で、38歳。実際はもっと遅かったかもしれないが、これらの年齢を基準にして、映画の流れを追っていこう。映画は、ポーランド(8歳)、カナダ(32歳)、ギリシャ(8歳)、カナダ(32歳)、カナダ(31歳)、カナダ(32歳)、ギリシャ(27歳)、ギリシャ(8歳)、ギリシャ(27歳)、ギリシャ(8-11歳)、ギリシャ(33歳)、カナダ(33歳)、カナダ(11歳)、カナダ(27歳)、ギリシャ(38歳)、カナダ(38歳)、ギリシャ(38歳以降)、という順に映像化されている。これらのうち、青字①③⑧⑩⑬にロビー・ケイが出演する。また、恐らく7歳頃の幸せな時代の映像の挿入が4回、⑧⑩⑬で行われ、構成をますます複雑にしている。また、使用言語は、英語がメインだが、ギリシャ移住後の子供時代はギリシャ語、それに、一部だが、イディッシュ語(ドイツ系ユダヤ人の言語)とドイツ語も混じっている。あらすじでは、文字色を使い分けることで、言語の違いを分かるようにした。なお、あらすじでは、台詞の部分と、独白の部分では格調が全く異なる。つまり、独白は映画ではなく、文学作品のように格調高い。それは、映画でも原作の文章をほとんどそのまま使用しているからだ。従って、その部分については、雰囲気を生かすため、黒原敏行氏の素晴らしい名訳を参考にさせていただいた。ただし、映画は原作とかなり違っているので、同じ台詞・独白でも、使用箇所が全く違っている場合もある。

ロビー・ケイは、上記で示したように、7-11歳の部分を担当しているが、撮影時の実年齢は10才程度であろう。最悪の幼少時体験をしたことから、怯えたような表情が多く(表情の変化に乏しい)、台詞も極めて少ない。しかし、役柄には十分合っていて、他の子役の起用は考えにくい。


あらすじ

上記に該当: 遠くから銃声が聞こえ、じきヤコブの家にもドイツ兵がやってくる。家族は家財の整理に追われ、ヤコブは母に壁紙の裏の隙間に入るよう言われる。母:「さあ、入って。遊びじゃないの。お聞き、戸棚に缶詰が32個ある。全部なくならないうちに迎えに来る。ドアは 絶対開けちゃだめ。分かった? 待つのよ。約束して」。「約束する」。「静かにね」(1枚目の写真)。しかし、両親の予想とは違い、ドイツ兵の行動は最悪だった。家に乱入するなり「動くな!」。母が、「お願い…」と言いかけると、「黙れ!」と銃床で殴りつける。そして、「いいか、黙ってろ」と家族に命令。父が、「お願いです」と言うと、その場で射殺される。そして美しい15歳の姉ベラは、「お前、来るんだ」と連行される。恐らく、強姦された後に射殺されたであろう。それを壁の中から見ていたヤコブ。映画には何も表示されないが、原作ではヤコブのこの時の心情を、「黒いものが 私の中に満ちていた」と表現している。ドイツ軍が去った後、家を逃げ出すヤコブ(2枚目の写真)。この部分の原作の表現も素晴らしい。「走っては転び、走っては転びして、川辺に来た。私は 川の音に背を向けて、森の中へ駆け込んだ。森は 箱の中のように真っ暗だった」。そして、森の中で落ち葉の中に身を潜める(3枚目の写真)。「自分の体を蕪のように植えて、顔を落ち葉で隠した」「落ち葉の中で、眠りと覚醒が混じり合った」。
  
  
  

上記の続き: ビスクピンの発掘に携わっていたアトスが、コーヒー・ブレイクの時、森の中に何かがあるのに気付く(1枚目の写真)。近寄っていくと、それは少年だった(2枚目の写真)。ギリシャ人の同僚に頼んでジープを出してもらい、国境へと向かう。ポーランドは既に1939年にドイツに隣接した西部を併合し、ビスクピンも併合された部分に入っている。一方、ワルシャワを含む領域は、ポーランド総督府(首都クラクフ)と呼ばれてはいたが、完全にドイツの統治下にあった。従って、ジープが通過する検問所(3枚目の写真)は、ポーランド総督府との国境ではなく、相当距離はあるが、南部のスロバキア共和国(1939-45)との国境であろう。ドイツ兵が、「クラコフからか?」と訊いているのが、その証拠だ(クラコフは、ポーランド総督府の南端にあり、スロバキア共和国にも近い)。アトスは、北部のビスクピンではなく、近くのクラコフから来たと偽ることで、疑われるのを防いだ。
  
  
  

上記に該当: 無事ギリシャに着いたアトスとヤコブは、アトスの家のあるザキントス島(ペロポネソス半島の西18キロ)に漁船で向かう。「さあ、着いたぞ。見てごらん。わが家だ。君を どうしようか?」(1枚目の写真)。この時点で、ヤコブにギリシャ語が理解できたとは思えない(英語の方は不明)。この時、ヤコブは、アトスからオレンジを渡される(2枚目の写真)。このオレンジは、ずっと後に、成人したジェイコブが、アトスの遺灰を持って島を再訪する時にも携えている。
  
  

上記に該当: 島に来て、恐らく1ヶ月以上経った頃。アトスが、家の外でヤコブに声をかけている。「おいで。誰も見てないぞ。ここは高台だから」。戸口から隠れるように見るヤコブ(1枚目の写真)。アトスは紙飛行機を折り、昔、弟がやった悪戯の話をしながら、飛行機を飛ばす。すると、眼下には島に進軍してきたドイツ軍の車両が見えた(2枚目の写真)。その音を聞いて、家の中に逃げ込むヤコブ。夜になって眠ると、姉がドイツ兵に引きずられていく夢を見る(3枚目の写真)。「おねえちゃん… イヤだ!」と寝ながら叫ぶヤコブ。飛んできたアトスが、「大丈夫、安心おし。私だよ。怖くない。怖くない…」と抱き締めてなだめる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

上記の続き: ドイツ軍が来て、食料不足が深刻になる。「もう、これしかない」と、アトスはオリーブを渡す(1枚目の写真)。少し齧ってやめるヤコブ。アトスが「歯茎から血が出てる」と言う。栄養不足なのだ。そんな時、話を聞いた顔見知りのおばさんが村から来て、魚を分けてくれる(2枚目の写真)。「この魚、どうやって?」「甥っ子が船を持ってて、ナチに隠れて漁を」。さらに、話は続く。「命令で、将校を一人寄宿させられたわ。そいつ、盗むの。毎日 何かをね。ナイフ、フォーク、針に糸、何でも。そいつ、バターや芋や肉を 持ち帰るけど、全部一人で食べるの。私に料理させて、じっと見張ってるのよ」。ここで、アトスは、重要なことを打ち明ける。「私たちが、ポーランドを離れた直後、私が働いていた発掘現場はナチが破壊、記録は焼却、私の同僚の5人を近くの森で射殺し、残りの者は強制収容所に送られた。ヤコブがいなければ、私も死んでいた。お互いを救ったんだ」(3枚目の写真)。この体験が、アトスがヤコブをカナダまで一緒に連れて行き、死ぬまで一緒に暮らす動機になっている。
  
  
  

上記の続き: その後で、おばさんがヤコブを散髪してくれる(1枚目の写真)。おばさんの鼻歌を聞いているうちに、昔、同じように口ずさみながら頭の毛を撫でてくれた姉のことを思い出す。まだ幼い頃の幸せそうなヤコブ(2枚目の写真)。現実に戻ると、おばさんの声が聞こえてくる。「とってもハンサムね。女の子が、みんな 結婚したがるわ」。僅かに微笑んだヤコブを見て、「私の話が 分かるのね? 覚えも早い。お利口なのね」。そして、アトスの奥さんのことを聞して聞かせる。「アトスは、結婚してたってこと話した? 名前は エレニ。彼女が死ぬまで、5年暮らしただけよ」。「初めて聞いた」。「だから、教えたの。アトスは、辛い経験をしてきた人なの。とても強い人だけど、時々は、気をつけて見ててあげてね。分かった?」(3枚目の写真)。うなずくヤコブ。彼は、アトスが死ぬまでこの約束を守る。
  
  
  

上記に該当: コーヒー好きのアトスは、たんぽぽの根や蓮の種などを粉末にし、真鍮の器の中で混ぜて コーヒーの代用品にしていた。「くそったれの戦争め。コーヒーも ろくに出来ん」。それを見ているヤコブ(1枚目の写真)。コーヒーから、昔の思い出へと飛んでいく。「ベートーベンは、一杯のコーヒーに、正確に6個の豆を使ったのよ」と話す姉。「ヌードルとチーズ、じゃがいもと ドナウ川の魚が、好物だったわ」(2枚目の写真)。「そして、飲んだのは 鉱泉水とビールだけ」。ヤコブに微笑みかける姉。ヤコブの顔も嬉しそうに微笑む(3枚目の写真)。こうした挿話は、姉ベラこそがヤコブにとっての理想の女性であることを示唆している。
  
  
  

上記の続き: 親切なおばさんから、娘がユダヤ人と結婚しているので一晩匿って欲しい、と頼まれる(1枚目の写真)。「ゲシュタポが市長に、ユダヤ人全員の名前を提出しろ」と言ったという。島の住民にも危険が迫ってきたのだ。娘は、「今朝、残っていた ひと握りのユダヤ人は、集められ、銃をつきつけられてトラックに押し込まれ、連れ去られました」と話す。その話を、影で聞いているヤコブの顔は暗い(2枚目の写真)。アトスは、娘から、大切なものを家に残してきたので、できれば取ってきて欲しいと頼まれ、快諾する。アトスが町の小さな広場に行くと、住民全員が集められ、ドイツ兵に囲まれている。ドイツ将校が、「多くのユダヤ人が逃亡し、方々に隠れている。お前たちの多くが 逃亡を助けたり、今も隠している。すべての家の捜索が終わるまで、お前たちは広場に留まれ。助けた奴らが特定されるまで、お前たち全員が容疑者だ」と言う。そのギリシャ語訳を聞いたおばさんが、「やり過ぎよ。何で、罪人みたいに 立ってるの! こんな屈辱、耐えられない!」と怒って立ち去ろうとして、射殺されてしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

上記の続き: アトスが家に戻り、娘夫婦の家から無事に持ち出したものをヤコブに見せる。ユダヤの文字を見て過去を思い出したのか、ヤコブは泣き出し(1枚目の写真)、ベッドに走っていくと、持ち物を投げ捨て、ベッドにうずくまる。それを見て、アトスは頭を抱える(2枚目の写真)。
  
  

上記の続き: 暗い日々もようやく終わりを告げた。1944年9月、ドイツ兵が島を出て言ったのだ。ギリシャ国旗(~1978年)を掲げて喜ぶ住民たち(1枚目の写真)。それを見たアトスが、ヤコブに「終わった。出てきなさい。もう 安全だ」と呼びかける。戸口から、恐る恐る一歩を踏み出したヤコブ(2枚目の写真)。しばらくし、ヤコブが さんさんと注ぐ秋の太陽の下で横になっている(3枚目の写真)。そこに、アトスが来て、「カナダの大学からの招聘状だ」と手紙を見せる。そして、ビザが下り次第、2人でカナダに向かうと話す。
  
  
  

上記の続き: ギリシャ時代最後の美しいシーン。アトスは、島を離れるにあたり、海辺に立ち、真水を海に注いで「死んだ人たちが 飲めるように」と言い、パンをちぎって海に投げて「死んだ人たちが ひもじい思いをしないように」と言う。さらに、ヤコブに幾つもの花を海に投げさせながら、「君の ご両親や、ベラや、誰も名前を覚えていない、すべて人達のために」と唱える(1枚目の写真)。最後に、ヤコブが「エレニのために」と付け加えると、アトスは「エレニのこと、なぜ知ってる? 話して」と訊くが、ヤコブは黙ったままだ。アトスは、最後に、海に語りかけるように歌う。「ここに 海の技が終わる。ここに住む人よ。記憶を暗くする時は、私達を 忘れないで欲しい」。生まれ故郷を去り、二度と戻らないと覚悟した惜別の辞だ。
  
  

上記に該当: ここからは、カナダ時代。アトスとジェイコブ〔英語圏に来たので、アトスがヤコブと呼ぶのはやめた〕は、初めてアパートに足を踏み入れる。そして、床に落ちている招待状に気付く。ドアの下から入れられたものだ。『テイラー氏より、新しい同僚へ』と書いてある。「パーティへの招待状だ。私たちは、もう人気者だ」とジェイコブに嬉しそうに話す。その時、隣の部屋の夫婦が部屋に帰宅した。その声を聞いて、「イディッシュ語を話す隣人だ」とジェイコブに言う。無表情な目は 何を物語っているのか(1枚目の写真)? 部屋に入り、裸電球を点け「電気だ」、水道をひねり「水も出る。ホテルみたいだな」とアトス。恐らく数日後、招待されたクリスマス・パーティに出かける2人。ジェイコブも、ちゃんと背広を着ている。出席者は全員大人で、子供はジェイコブ1人だけ。それでも、主催者の奥さんは、「楽しんでると いいけど… ここには、子供たちがいないから」と言って、用意したプレゼントを手渡し、記念にと、アトスとツーショットの写真を撮ってくれる(2枚目の写真)。今のように簡単には室内写真は撮れないので、フラッシュ付きのカメラがちゃんと用意してある。とても親身のある歓迎だ。この時撮られた写真は、額に入れられ、上記②にアップで使われている(3枚目の写真)。ずいぶん早い段階でいきなり出てくるので、最初は何のことかよく分からない。パーティが終わりアパートに戻った2人。アトスに「プレゼントを開けてないな」「何だと思う? 冷蔵庫? 機関車? 蛙? 開けて」と言われ、嬉しそうな顔を見せる(4枚目の写真)。中は、季節にあったウールのマフラーが入っていた。
  
  
  
  

上記の続き: その時、 雷鳴が轟き、急に停電する。真っ暗な中、ロウソクを出して火を点けるアトス。そこにノックの音がし、隣の奥さんが顔をのぞかせ、「余分のロウソクを、お持ちでは?」と尋ねる。ロウソクを待っている間に、ジェイコブが「マッチは、なくていいの?」と訊く。「イディッシュ語、話すの?」と嬉しそうに訊く奥さん。さっそく、自分の部屋に呼んで、紅茶でもてなす。「レモン、ミルク?」。「レモン」。「若い子たち みたい」。ケーキを食べながら嬉しそうに待つジェイコブ(1枚目の写真)。奥さんは、「また 来てくれる? 若い人がいると、明るくなるもの」と頼む。ジェイコブとこの夫妻との付き合いは、その後も、5年後に夫妻に赤ちゃんが生まれ、30年後に夫が自殺するまで続くことになる。別な日の夜のシーン。また停電している。隣人のアパートで、今度は、夫妻が揃い、アトスもいる。アトスがビスクピンでの発掘の話をし、夫のヨセフ(英名:ジョセフ)はワルシャワで指揮者、妻のサラは歌手だったと話す。その時、急に、ジェイコブが「お姉さんが ピアノを」と話し出す。「そう… 上手だった?」と訊くヨセフ。しかし、急に姉の死のことを思い出し、言葉が出なくなるジェイコブ(2枚目の写真)。それを慮(おもんばか)って、夫にそれ以上訊くなと止める妻。
  
  

上記の続き: 恐らく、少し時間が経ってから。ジェイコブが1人で朝食をとっている(1枚目の写真)。誰もいないのだが、あらぬ方を見つめている。ここで、ベートーベンの『月光』が流れ始める。原作で、該当する部分を捜すと、次のような一文が見つかる。「『月光ソナタ』 を弾く時、姉は、山に囲まれた深い湖を想像してごらん、と言うのだった。風が湖面に捕らえられ、波紋が月明かりの下で広がっていく」。その言葉を思い出すように目を開くジェイコブ(2枚目の写真)。そして、視線の先に見える、美しく笑う姉ベラの姿(3枚目の写真)。姉はジェイコブの目の前のテーブルの上でピアノを弾くように指を動かしている。そのことから、このベラは過去の1シーンの想い出ではなく、ジェイコブが想像で作り上げた幻影だと分かる。
  
  
  

上記の続き→⑭へ: ジェイコブの子供時代最後の場面。先ほどのシーンの続き。 朝食を食べずに何かを見ているようなジェイコブに、アトスが「ゆっくり食べてるな。貴族みたいだ」と声をかける。そして、顔を見て(1枚目の写真)、きっと姉の想い出にひたっているのだと想像し、「お姉さんのことも 忘れてない」と話す。「死んだと 思ってる」とジェイコブ。「分からない。期待しない方が、いいのかもな」。そして、非常に重要なことを告げる。「お聞き… 私は、心に澱(おり)が溜まったら書き留める。君だって、表に出した方がいい。だから… 書きなさい」と大きな赤いノートを目の前に置く(2枚目の写真)。「何を書くの?」。「必要なことを。ギリシャに格言がある。『木の神秘は、燃えることではなく、水に浮くこと』。分かるか?」。「ううん」。「物事には、いい面と悪い面がある。見方によって、破綻を選ぶこともできるし、救済も選べる」。ここで画面は、真っ白なノートから、びっしりと書き込まれたノートに代り、大人になったジェイコブの朗読が聞こえる。「大地は、決して手を離さない。雨は、決して骨を離さない。夜、記憶は肌の上を漂泊する。眠りの中で、上げ潮が家に入り込み、沼地で覚醒すれば、大地の匂いが心に焼き尽く。何物も 解放できない。夢の中の死も、目覚めていても、このように、人は解(ほど)かれる…」。あまりの美しい文体に涙して感動するアトス(3枚目の写真)。
  
  
  

上記⑭の続き: その夜、アトスは夜遅くまで仕事を。翌朝、目覚めたジェイコブが胸騒ぎがして書斎に行ってみると、アトスは冷たくなっていた(1枚目の写真)。原作では「彼の死は静かだった。海に降る雨のように」と美しく記述している。葬儀を終えて、隣人のジョセフの部屋で。そこには11歳のベンがいる(2枚目の写真)。ベンが、りんごを食べかけのまま残していこうとすると、「りんごは食べ物だろ? なぜ、残すんだ?」と問い詰める。そして、「食べたくなかった」という返事に対し、「考えられん」「戦時中は、すべてが貴重だった。如何に小さくても。ボタン、鉛筆、スプーン! 特に 泣いて喜んだものがある。上等の靴。お湯。一片の食べ物。そうだろ、ジェイコブ? 私の息子が、りんごを捨てた。やっとの思いで生き残った私。その子供が、物の価値を分からんとは…」とベンを厳しく責める。こうした態度のお陰で、ベンはいつもジェイコブの部屋に入り浸る〔そのため、大きくなってからは、親しい親友になる〕。部屋に戻ったジェイコブは、アトスの机を整理していて、大量の手紙を発見する。それは、ポーランド当局にベラの安否を尋ねた手紙だった。ジェイコブは、ベラのことをこれほど心配してくれていたのか、逆に言えば、これほど自分を大切に思っていてくれたのか、と心から感動する(3枚目の写真)。
  
  
  

上記⑦に該当: そして、ジェイコブはアトスの遺灰を島に戻すため、ギリシャを訪れる。ザキントス島に渡る船の中で、例のオレンジを手にするジェイコブ(1枚目の写真)。アトスの家は地震で半壊し見る影もない(2枚目の写真)。その家の傍らに穴を掘り、遺灰を入れた木の箱を収める(3枚目の写真)。その時のジェイコブの独白が素敵だ。「アトスについて、私が知るのは断片のみ。塩。オリーブ。葡萄の葉。海の泡。彼が経験した 二つの戦争と一つの恋。エレニ。どんな言葉を悔やんでいただろう? 子供ができたらと、想像しただろうか? 人が死ぬと、秘密は水晶のように凝結する」。
  
  
  

上記⑨に該当: ジェイコブは、ザキントス島を出ると、アトスの実家のあるイドラ島を訪れる。同じペロポネソス半島の東端にある有名な観光の島だ(1枚目の写真)。港から実家まで坂道を登る。原作には、「細い坂道を上がっていくと、澄んだ陽光に白壁を輝かせている町が、下方にしりぞいていった」と描写されている。家具に白い布が被せたままになっている部屋に入るジェイコブ(2枚目の写真)。
  
  

上記④→⑤に該当: ある日、ジェイコブがレコード店にいると、声をかけてきた女性がいる。アレックスだ。すぐに気が合い、カフェで話し込み、靴屋でハイヒールを買い、アパートへ。彼女のグループの会合にも参加し、終わって歩道で歩くうち、「あのね… 結婚しましょうよ」といきなり言われる(1枚目の写真)。「返事を 待たされるのは 嫌いなの。思うんだけど、これって、必然の運命かも」。「そう思う?」。「そうよ。お互い 幸福になれるわ」。しかし、翌年には(原作では5年後)、2人の仲は決裂する。その直接原因はアレックスがジェイコブの赤いノートを呼んでしまったこと。そこには、「アレックスは 決して理解しなかった。彼女は、私を絶望の淵から引き離し救おうとしたが、一つの記憶一つの物語が逃げ出していく度に、私自身の一部も失われていった。すべてが間違っていた。ベッドでは、隣にアレックスがいる。私は慌てた。ベラには、私が分かるだろうか? 知らない女の傍らにいて、外国語を話し、奇妙な食べ物を食べ、変な服を着てるのに」。読みつつ涙ぐむアレックス(2枚目の写真)。来客があった日の夜、ジェイコブの目の前で、アレックスが読み上げる。「私が半日かけ、悲痛な思いで到達しようとした世界は、電球の光で消え去った。アレックスが、臆面もなく乱入して来ると、影は こっそりと退いた」。そして、こう糾弾する。「私は、あなたにとって、こんな存在?」。そして、アレックスは去っていった。
  
  

上記⑯に該当: 成人したベンは結婚し、自分の恩人でもあるジェイコブにちゃんとした相手を見つけようと、自宅に呼んでミケーラを紹介する。話がぴったり合う2人(1枚目の写真)。関係が進む中で、ミケーラとベッドを共にしている。その時、ジェイコブの夢に姉ベラが現れ、かつて、アトスが語った「木の神秘は、燃えることではなく、水に浮くこと」という諺をくり返した後、「先に進んで」と言う(2枚目の写真)。目が覚めると、隣には眠るミケーラが。これをジェイコブは啓示と受け取った。ここで、独白が入る。「何年もの 彼らとの邂逅を経て、両親やベラに つきまとい驚かせているのは、実は、私ではないかと疑い始めた」。
  
  

上記⑰に該当: そして舞台は最終章となるギリシャのイドラ島へ。独白はさらに続く。「ベラは 私に会いたがっている 寂しがっている、という考え。それは、合図の読み間違いだった。彼女は、他の幽霊のように囁くが、それは 仲間になって欲しいからではなく、私が近くに来た時に、生者の世界へと押し戻すためだった」。島で、熱烈に愛し合って暮らすジェイコブとミケーラ。ある日、ミケーラがケーキを作っていると、急に記憶がよみがえり、楽しかった頃の自分を思い出す(1枚目の写真)。少年時代のヤコブが登場する最後のシーンだ。ジェイコブは、ミケーラにも赤いノートを読ませる(2枚目の写真)。「人は、魂の合体により 自分を取り戻す。だから、私はもう 深い闇を怖れない。夜ごと 幸せが 私を目覚めさせる。幾多の遍歴を経て、ようやく巡り遭えたミケーラが近づくと、私は磁石の針のように震える。未来に対する、初めての期待感で。言葉と現実は、もう別々でなくなり、肌の下で一体となる。本心を さらけ出すことのできる女性の存在は、全身に信頼を与えてくれる」。ジェイコブの、自分に対する全幅の信頼に、涙を流すミケーラ。映画の最後は、次の独白で終わる。「心の琴線が切れかけた時、私は無意識のうちに わが身を救った。私は、大好きな二音節をつかみ、君の名前を 鼓動の代わりにした。『ベ・ラ』。さあ、私が最も必要としているものを、分かち合おう」。
  
  

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